エースの重み。

アズーリが敗退してはや1週間あまり。10番の唾吐き騒動に関してロビーを愛している人たちはこの後継者の行為をどう見ているのかとふと思い、ネットサーフしてみる。
その中で、日本のロビー好きの人が一番訪れるであろうサイトにこんな話を見つけた。

ロビーがいればこうはならなかった・・とか、ロビーを呼ぶべきだったとか、声高にいうつもりはない。 結局、この10年間、イタリア代表のユニを着て、大きな舞台で、プレッシャーの中で、結果を出してきたのは誰なのか。事実は事実だ。スウェーデン戦のとき「バッジョは唾を吐かない」という横断幕が出たという。アメリカ大会でナイジェリア戦の88分まで、バッジョが背負っていたエースとしての責任、プレッシャーは、今の10番の1試合目時点でのそれよりははるかに大きかったと私は思う。

http://homepage1.nifty.com/TUTTO_BAGGIO/diary.html

この横断幕。うん、そうだ。贔屓目ではなく、この「バッジョは唾を吐かない」ということにオイラは同意する。
ロビーが聖人君子であるなんてことは言わない。だけど、ロビーならばそんな大事な舞台で自分がすべきことは何かわかっているし、実際かれはそこで魔法のようなプレーを数え切れないほど僕たちに見せてくれた。
それが94年アメリカ大会のナイジェリア戦でのゴールであり、チリ戦で見せたPKを取ったチップキックだったり。
あくまでもトッティトッティであり、ロビーでもロビーの代わりでもない。でも、そのユニフォームに袖を通してきた先人たちの思い、かなわなかった思いを少しでもわかってくれていたのなら、あんなことはなかったのではなかろうか。そしてそのビデオが自分ではないとか、シューズが合わなくてマメだらけになったなどという見苦しい言い訳はしなかったんじゃないだろうか。
もともとトッティは好きな選手ではないけれど、アズーリのユニフォームをまとった彼は自分たちの大事な選手であることには変わりない。次があるかはわからないけど、もし、次あの青いユニフォームに袖を通すことが出来たら、そのときはこのあまりにも大きい期待を裏切らないで欲しい。そのユニフォームを着れなかった人たちの思いを。サポーターたちの思いを。